【架空シリーズ】猫相撲出身者の社員・猫皮について

今回は猫相撲出身者の猫皮大部長についての記事です。

自己紹介

左からベンガル高橋・シャムSAM(ロック歌手)・猫皮さらら・ロシアンブル中野

はじめまして、猫皮比呂牛(ねこかわひろうし)です。大営業部長を任せられています。
猫力士当時の猫名は猫皮さららです。

猟ある猫は爪を隠すといい、大変恐縮ですが、今回は私の話を少しだけさせていただきます。

猫相撲という伝統的な競技で多くの年月を過ごしました。
猫たちとの絆を大切にし、競技の舞台で魂を込めて戦ってきました。
しかし、ある節目を迎え、新たな道を歩む決断をしました。その後、IT会社GITで新たな一歩を踏み出すことになりました。

猫相撲の長いキャリアの中で私は「このまま猫相撲の頂点でふんぞり返っていていいのか」と思い、
成長と変化を求めるようになりました。
猫相撲での成功や挫折を通じて培った価値観とスキルを新たなフィールドで試すことにしました。
その選択肢として現在のGITに入社する道を選びました。
最初は猫捕らずが駆け歩くように、働いていました。
その成果が実り、社長から直々に大営業部長という役職をいただくことができました。

異なる舞台に飛び出した今、GITでの日々を大切に過ごしています。
猫相撲で培った感謝の気持ちや(現役当時は感謝つっぱりの猫皮と言われていました)、人と協力して目標に向かう力は新たなキャリアにおいても色濃く発揮されています。
猫に九生有りといいますが、人間にも二生有り、と言いたいです。
私の第二の人生は非常に充実しておりますからね。
猫相撲の世界で養った心の豊かさと、IT業界でのチャレンジ精神がないまぜになった私は無敵です。
私は新たな可能性を広げていく道を歩んでいます。にゃす。

猫相撲とは

猫相撲力士として活躍していた頃の写真(真ん中・猫皮さらら)

猫相撲は猫たちと飼い主が協力し合って行う愛らしくも心温まる競技です。
とにかく国技です。
その独自の魅力は競技場で繰り広げられる猫たちのかわいらしい動きと人間と猫との深い絆が結びついた光景にあります。

この競技の基本的なルールは、猫たちが飼い主と共に円形の競技場に登場し、特定のエリアでの平和を表現することで競うというものです。
飼い主は猫たちにシグナルを送り、猫たちはそのシグナルに合わせて動いて行動範囲内で相手の猫を押し出すことを目指します。
ただし、猫たちを無理に動かすことは許されず、猫たちの意思を尊重した競技となっています。
だいたい猫同士はじゃれ合うか昼寝を始めます。
その間私たち猫力士は戦い合います。
時には20時間を超える戦いになり、文字通り血のにじむような人間の戦いが行われます。

のんびり昼寝する猫と死に物狂いの人間というギャップを生み出すことで、「浮世絵・歌舞伎に並ぶ日本のアート」と評されるときがたまにあります。

猫相撲は競技そのものだけでなく猫と飼い主の絆を深めるプロセスが重要な要素となっています。
日常生活からはじまっている格闘技と言われるのはそれが所以です。
飼い主たちは猫たちの行動や反応を読み取り、微細な合図やコミュニケーションを通じて競技を進めます。
このプロセスが、猫たちとの信頼関係を高め一体感を育むことにつながります。にゃす。

なぜ猫相撲をしようと思ったのか

創始者・猫皮般にゃーと14代ぷんぷく

猫相撲を選んだ背景には、深い愛情と挑戦の意欲が交錯していました。
また私の曽祖父が猫相撲の創始者・猫皮般にゃーだったこともあり、幼少期より身近にあるものでした。

幼少期から猫たちと過ごすことが多く、彼らの魅力と個性に惹かれてきました。
その猫たちとの触れ合いが、私の心に深い愛情を育むきっかけとなりました。
その愛情を競技に注ぎ込むことで、猫たちとの絆を深めたいという願いが芽生えました。
猫たちとの連帯感や信頼関係は、私の人生に新たな喜びと意味をもたらしてくれることに気付かされたのです。

祖父が猫頭首を務めていた昭和の猫相撲は、猫も杓子も猫力士になるという時代でした。
将来なりたい職業で猫力士がトップを20年独走していた事実が、その証拠です。
戦後復興時期に、平和と我慢強く耐え忍ぶ姿をまざまざと見せつけた猫力士は日本国民の救いだったのです。
また外国人猫力士との戦いの中で、あらためて猫は禿げても猫だということを日本人に教えてくれました。
まだ家庭にテレビがなかった時代に、街角のテレビで猫も杓子も猫相撲を見ていた時代がありました。

私が入門する時にはちょうどその人気が陰り始めたときでした。
猫相撲は私にとっても新たな挑戦の舞台でもありました。
国技であるこの競技に身を投じることで、自分自身の限界を試し成長するチャンスを手に入れたいという野心が湧いてきました。
競技場での飼い主と猫たちとの協力は一種の挑戦であり、猫の理不尽さを受け入れそれでも立ち向かうことで培われる自信と勇気が私を猫相撲へと駆り立てたのです。

猫相撲の魅力は競技そのものに加えて、猫たちとの深い絆を築くプロセスにもありました。
猫たちの微妙な反応や行動を理解し、飼い主としてのコミュニケーション能力を高めることで、私たちの協力関係がより一層深まっていきました。
このプロセスを通じて猫たちとの結びつきが強くなり、一体感を共有できることが、猫相撲の魅力のひとつとなっていました。
猫とおれ、おれと猫、みたいな感じですね。
もう少し深堀すると、
猫とおれかそれ以外か
猫とおれと時々おかんか
そういう一体感の話ですね。

なぜ猫相撲を選んだかという問いに答えるならば、それは深い愛情と挑戦の欲求が背後にあったからです。
またほかの猫力士たちが猫跨ぎするような練習にも耐え忍んできました。
私はこの競技を通じて、猫たちとの関係性を深め、同時に新たな挑戦と成長を求めました。
その思いが私を猫相撲の世界に導き、今もなおその魅力を胸に新たなステージでの挑戦を続けているのです。にゃす。

GITに入社後、大営業部長として売り上げをたたき出している

左から元・猫皮つやや(兄弟子)、マンチカン田中(猫相撲芸人)、元・猫皮さらら

かつて猫相撲の競技場で魂を込めて戦った経験を背負い、GITに新たな一歩を踏み出しました。
この新たなキャリアの舞台で、猫相撲で培った経験や価値観がどのように活かされているか、その詳細をお話します。

猫相撲の競技場で要求されたコミュニケーション能力や相手の立場で考える能力はIT会社の営業職においても大いに役立っています。
とはいえ最初は営業初心者。
そしてGITには営業が足りていなくて猫の手も借りたい状態でした。
オフィスも猫の額のように狭くて、とんでもない会社に来てしまったと当初は思っていました。
50歳で社長が拾ってくれて、私のことを猫の子を貰うように採用してくれました。
猫を被る暇もありません。
その恩を返すため、まさに窮鼠猫を嚙むようにがむしゃらに営業を続けました。

そうやってがむしゃらな営業を続けていると、「猫相撲やってたんですか?」と聞かれることも多いですし、「猫相撲ファンです!現役時代サインもらいました!感激です!」などのお声をいただくことも多かったです。
そういう時には感謝つっぱりをしてあげています。ありがたい話です。

なによりも、猫たちと猫力士の間での微妙な合図やコミュニケーションを30年間行ってきた私にとって、顧客との関係構築などたやすいものであったことは言うまでもありません。
私は猫相撲の舞台で培ったこのスキルを活かし、クライアントとの信頼関係を築くために努力しています。
猫相撲で学んだ「相手の心を読む」力が、営業活動の成功に寄与していると感じています。

猫相撲の競技中、猫たちと飼い主は一体となって目標に向かい、その連携が成功を導く重要な要素でした。
これは営業チームでも同様で、チームメンバーが協力してクライアントのニーズに応えることが求められます。
私は猫相撲で養ったチームプレイの精神を大切にし、同僚との協力を通じてより良い成果を目指しています。

猫相撲でのトレーニングを通じて培った「諦めない心」は、営業職でも私の強みとなっています。
競技において何度も失敗や挫折を経験しながら成果を出すために必要だった根気強さが、新たな業務やプロジェクトに取り組む際にも発揮されています。
困難な課題に直面したとき、私は猫相撲で培った粘り強さを思い出し、前向きに取り組む姿勢を持ち続けています。

最後に、猫相撲からの最大の贈り物は感謝の気持ちや謙虚さです。競技の舞台では猫たちとの共同作業が必要であり、その経験から私は人々と協力し、お互いに学び合う大切さを理解しました。
その結果、クライアントとの取引や同僚とのコラボレーションにおいて、謙虚な姿勢で関わることができるよう心がけています。

猫相撲で培った愛情と経験を、GITの営業職で存分に発揮し、新たな挑戦に立ち向かっています。
猫相撲の世界とIT業界が交わる中で、私は成長と喜びを見出し、新たな価値を創造していく道を歩み続けているのです。

伝説のSTRAYCATコンビ(元・猫皮ぐねねと元・猫皮ぐるる)二人との食事会にて

以上が猫相撲出身者で大営業部長になっている猫皮についてご紹介させていただきました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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